孤独を選んで生きる女性が、人とのつながりを見つめ直していく姿を描いたヒューマンドラマである。
クレジットカード会社のコールセンターで働くジナは、他人との関わりを避け、一人で暮らしていた。ある出来事をきっかけに周囲との距離が少しずつ変化し、彼女は孤独な日常を見つめ直していく。
ジナをコン・スンヨンが演じる。共演はチョン・ダウン、ソ・ヒョヌ、キム・ヘナほか。

ひとりで生きることを選んだ女性が、それでも誰かと交わっていく——韓国映画『おひとりさま族』(2021年)は、そんな静かな変化をじっくり見せるヒューマンドラマだ。
主人公のジナを演じるのはコン・スンヨン。他人との関わりを徹底的に避けながら暮らす彼女が、少しずつ周囲と接点を持っていく様子が丁寧に描かれる。チョン・ダウン、ソ・ヒョヌらが共演し、ホン・ソンウン監督の長編デビュー作としても話題を集めた一本だ。
「おひとりさま」という言葉に共感を持つ人にも、孤独と自由の関係を問い直したい人にも刺さる作品だと思う。
※本レビューはネタバレを含みます!
▶ 読みたいところだけチェック
- 1. 韓国映画『おひとりさま族』感想|刺さる人には深く刺さる理由
- 2. テレビの音と「気配」——ジナが流すものの意味
- 3. 『おひとりさま族』が描くのは「感覚」であって「答え」ではない
- 4. 韓国映画『おひとりさま族』考察|わかりにくいシーンを解説する
- ① 幽霊と会話していたのか?
- ② なぜ父親を監視カメラで見ていたのか?
- ③ なぜラーメン屋で様子がおかしくなったのか?
- ④「プップッ」という音はなにを意味するのか
- ⑤ なぜ後輩スジンにさよならの電話をしたのか?
- ⑥ なぜテレビを消して寝るようになったのか?
- 5. 『おひとりさま族』が合う人・合わない人
- 6. 韓国映画『おひとりさま族』感想まとめ|私は★5を付けた
- 7. 映画『おひとりさま族(2021年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)
韓国映画『おひとりさま族』感想|刺さる人には深く刺さる理由
鋭く刺さった。面白いのは、Amazonレビューでは評価の分散が大きいということだ(数学的な意味で)。★5が35%、4が33%、2が6%、1が20%。
つまり刺さる人には刺さるが、刺さらない人には全く刺さらない。低評価のコメントには決まって「意味がわからない」と添えられていた。
それはそうである。この韓国映画『おひとりさま族』は超共感型の作品だ。「ズガン」と貫かれた私にも、自分が何に共感したのか上手く言葉にできなかった。
レビューを書きながら探っていこうと思う。
主人公のジナ(コン・スンヨン)は一人で生きることを好む女性である。職場では必要以上に人と関わらず、食事も一人。父親からの電話も避け、誰かと親密な関係を築こうともしない。バスではイヤホンをして、外界からの情報はシャットアウト。もちろん、恋人もなし。
なんだ、私じゃないか。
だから最初は「孤独な女性の物語」なのだと思っていた。
しかし観終わってみると、それだけでは説明できない。
なぜなら、ジナは人間そのものを拒絶しているわけではないからだ。
父親を気にかけている。
隣人の存在を認識している。
新しくできた後輩を完全に突き放しているわけでもない。
むしろ彼女は「極力人と関わりたくない」のであって、「人が嫌い」ではないように見えた。
いろいろなレビューを読むと、「ジナは精神を病んでいる」と汲んだ人も一定数いた。
気持ちは分からなくもない。人との距離を極端に取り、感情表現も乏しく、人間関係をできるだけ削ろうとする。そういう描写だけ見ると、そう映るのかもしれない。
でも私にはそうは見えなかった。
思い起こしてみると、私にも似た部分がある。
X(旧Twitter)をはじめ、LINEすら連絡を返さなくなったことがある。SNSが突然嫌になってやめた。アカウントは全て削除した。
人とやり取りすることに疲れたとか、億劫になったとかではない。
なんだか消えてしまいたかった。
そうは言っても、死にたいとかそういうことではない。うまく説明できないが、この世から"認識されていないもの"になりたくなった。
だから、親からも離れようとした(仲が悪いわけではない)。電話番号すらも持ちたくなくなっていた。
しかし法律的に親と縁を切ることはできなかったし、電話番号を持たないなんてことは現代社会では不可能だった。
コロナ禍の時は実に心地よかった。遊びの誘いは来ないし飲みに出ることもない。ただ一人を楽しんだ。
しかし人間、長くは続かない。現在、相変わらず人間関係は狭いが、それなりに繋がっている。
SNSも再開した。映画ブログの宣伝のためにまた始めたのだ。最初は非常に躊躇した。
人と繋がるのはそれなりに楽しいが、それなりに面倒だからだ。しかし結局、アカウントを作った。
言ったようにリアルの友人も少ない。
だからといって友人がいらないわけでもない。たまに連絡が来れば嬉しいし、誘われて遊びに行くこともある。
人付き合いが嫌いなのかと問われれば、違う気がする。
かといって、人と常に繋がっていたいとも思わない。
『おひとりさま族』が描いているのは、そんな中途半端で曖昧な感覚なのだろう。
孤独を愛しているわけではない。いや、「孤独」という表現もどこかしっくりこない。
少なくとも、人との距離が近すぎることがしんどいのは確かだ。
映画を観ながら何度も感じたのは、「この感覚を言葉にできる人は少ないだろうな」ということだった。
孤独礼賛でもなく、人との繋がりを賛美する映画でもない。
そのどちらでもない場所を描いているからこそ、多くの人にとっては刺さらず、一部の人には深く刺さる作品になっているのだと思う。
最近気に入っている『悪魔の子』という楽曲にこんな歌詞がある。
この言葉も訳されれば本当の意味は伝わらない
映画も同じだ。映像で見て感じたことを言葉に訳すのは難しい。
そして私が本当に伝えたい、"何だか心に浮かんでいるもの"を言葉に訳しても正しくは伝わらないのだろう。
ただ出来るだけ簡単に、かつ出来るだけ正確に伝えるなら、『おひとりさま族』を観てほしい。そういうことだ。
テレビの音と「気配」——ジナが流すものの意味
韓国映画『おひとりさま族』の中で、妙に印象に残った場面がある。
ジナがテレビをつけたまま眠るシーンだ。
大きな出来事ではない。
物語の核心でもない。
それなのに、この映画を観終わったあとも頭に残り続けている。
なぜなのか考えてみた。
私は寝るときにYouTube配信を流している。
配信者はその時々によって違う。男声だったり女声だったり、ゆっくりボイスだったりもする。
内容はほとんど聞いていない。
音量もかなり小さい。
何を話しているのか分からないことも多い。
それでも流している。
以前から習慣になっていたが、理由を考えたことはなかった。
ただなんとなく、心地いいから。配信を聴きつつ寝落ちするのは最高に気持ちがいい。
『おひとりさま族』を観て、少し分かった気がする。
寂しいからではないのである。
少なくとも自分はそう思っている。
誰かと話したいわけでもない。
コメントを書きたいわけでもない。
ただ、人の声がある状態が心地良い。
それは会話ではなく、もっと曖昧なものだ。
気配。
存在感。
人がどこかで生きていることを感じられる程度の距離。
ジナも同じなのではないだろうか。
彼女は人との深い関係を避ける。
しかし完全な無音や無人を求めているわけでもない。
人の存在は受け入れている。
ただ、自分の生活に踏み込まれたくないだけなのだ。
だからジナはテレビを流している。
そして私はYouTube配信を流している。
どちらも勝手に流れているだけで、こちらには干渉してこない。
この映画を観るまで、その感覚を説明できなかった。
しかしジナの姿を見ていると、「ああ、こういうことだったのかもしれない」と思えてくる。
孤独でありたい。
でも世界から消えたいわけではない。
いや、語弊があるな。上では「消えたい」と私は言った。なんというか、周りから認識はされたくはないが、自分は在りたいのだ。
寄り添って欲しいのではない。ただ世界には人の存在がある。
それを感じて眠りたい。
その微妙な距離感を、テレビの音だけで表現しているところに、この映画の繊細さを感じた。
『おひとりさま族』が描くのは「感覚」であって「答え」ではない
韓国映画『おひとりさま族』を観終わった後の率直な感想は、

だった。
正直、物語だけを説明すると地味である。
派手な事件は起きない。
大きなどんでん返しもない。
恋愛映画でもサスペンスでもない。
それなのに、観ている間ずっと心がざわついていた。
この映画が描いているのは、誰もが経験したことがあるかもしれない感情だからだと思う。
電話が鳴る。
出るのが面倒だ。
別に相手が嫌いなわけではない。
でも今は出たくない。
返信が来る。
返さなければならない。
嫌ではない。
でも少し疲れる。
こういう感情は珍しくない。
しかし映画になることは少ない。
多くの作品はもっと分かりやすい感情を描く。
愛情。
怒り。
友情。
憎しみ。
成功。
挫折。
ところが『おひとりさま族』は違う。
人間関係に対する小さな疲労感や距離感をひたすら積み重ねていく。
しかも説明しない。
観客に解釈を委ねる。
隣人の存在もそうだ。
父親との関係もそうだ。
ラーメン屋での違和感もそうだ。
この映画には「答え」が少ない。
その代わり、「感覚」がある。
だから観終わったあと、何が面白かったのか上手く説明できない。
ストーリーがすごかったわけではない。
演出が派手だったわけでもない。
しかし確かに何かが心に残る。
それは、自分でも整理できていなかった感覚を映画が先に見つけてしまったからなのかもしれない。
観ながら何度も思った。
監督はどうしてこんな感情を知っているのだろう。
どうしてこんな距離感を映像にできるのだろう。
『おひとりさま族』は、孤独を描いた映画というより、人との距離感を描いた映画である。
そして、その距離感の描写があまりにも繊細だからこそ、観る人を選び、刺さる人には深く刺さる作品になっているのだと思う。
韓国映画『おひとりさま族』考察|わかりにくいシーンを解説する
韓国映画『おひとりさま族』の中では、わかりにくい描写が多用される。そのわかりにくさが本作のウリでもあるのだが、いや、ウリというより"そう表現することしかできない"のだろうが、人によっては「意味不明」と捉えてしまうのもまた事実だ。
ここでは私個人の解釈ではあるが、特に疑問点が多そうなシーンを解説していく。あくまでも個人の見解であることは留意していただきたい。
① 幽霊と会話していたのか?
ジナが隣人の男性と玄関廊下で会話をするシーンがある。後からわかるのだが、その男性はずっと前から既に亡くなっていた。だから視聴者は、幽霊だったのか、ジナの幻覚なのか、映画的な象徴表現なのか、を考えることになる。
私は3番目の解釈が最も自然だと思った。この映画は現実的な人間ドラマであり、超常現象を扱う作品ではない。だから「実際に幽霊が出た」というより、「ジナが見落としていた他者の存在」を可視化した演出だと考えている。
面白いのは、ジナは隣人のことをほとんど知らないのに、挨拶はするし、ちょっと会話もする。しかし名前は知らない。どんな生活を送っているのかも知らない。それなのに、その人の孤独死を知ってジナは初めて強く「人」を意識する。
つまり隣人は、会話程度の関わり合いはありながら、ジナが意識的にか無意識的にか「人」として認識していなかった存在なのだ。会話をしておきながら"関わらなかった他者"の象徴である。だからあの会話は、現実というよりジナの内面を映した場面だと私は考えている。
② なぜ父親を監視カメラで見ていたのか?
ジナは実家のリビングに監視カメラを仕掛けて様子を見ている。最初は母親を見守るためだったが、その母は亡くなり、いつしか父親を見守るためのものに変わっていた。
一見すると異常な行動に見える。しかし映画全体を見ると、ジナらしい行動でもある。ジナは父親を嫌ってはいない。もし嫌っているなら、電話番号も消し(母親の携帯電話からかけてくるから消しづらいというのもあるだろうが)、完全に縁を切るはずだ。しかし実際には「電話には出ない」「会いに行かない」「でも父親の様子は気になる」という状態である。
「関わりたくない」「でも気にはなる」。この矛盾がある。そこで彼女は「会わずに見る」という方法を選ぶ。それが監視カメラだ。普通の人なら電話する。会いに行く。しかしジナはそれができない。だから画面越しになる。
この映画には何度も「人を直接見ることができない」というモチーフが出てくる。監視カメラはその象徴なのである。
クライマックスでジナは父親に「監視カメラで見ていたの」と告白し、「これからも見ているから」と伝える。伝えるのだ。これは実に繊細な表現である。会いには行かないが、「見ている」と伝える=気にはかけているということであり、今までの父娘の関係より一段階前に進んだことになる。ジナらしい、不器用な愛情表現とも言える(言えるのか?)。
③ なぜラーメン屋で様子がおかしくなったのか?
ジナは昼食をいつものラーメン屋で済ませる。麺を見たところ、ラーメンというよりはベトナムのフォーに感じが近いが(丼に「米粉堂」って書いてあるし)、まぁそれはどうでもよくて、ジナの教育担当である後輩のスジンがある日会社に来なかった。上司から「出勤してない」と伝えられてもジナは驚きもせず、普段通りに仕事をこなす。そしてその日の昼食、いつもの麺を口にした瞬間にジナは違和感を覚える。
あの描写はなんなのだろうか? 非常に解釈が難しい。
後輩のスジンはジナとは真逆で、単独行動が苦手な性格だった。「お昼を一緒にいいですか?」とジナに付いてまわるシーンがある。研修中スジンはずっとジナの隣にいた。その彼女が、いまは居ない。
私はここを、「ジナの世界が壊れ始めた瞬間」だと思っている。序盤のジナはルーティンで生きている。決まった時間に起き、決まった仕事をして、決まった店で食べる。それが安心だった。ところがそこにスジンが入り込んで来た。今まで快適だった一人の時間が、少しだけ違って見え始める。
ラーメン屋での違和感のシーンは、その象徴だ。今までなら安心できた場所なのに落ち着かない。スジンが居ない。環境が変わったのではなく、ジナの内面が変わり始めた——その変化が表面化した場面だと考えている。
④「プップッ」という音はなにを意味するのか
ジナはカード会社のコールセンターで働いていて、業務でヘッドセットを身に付けている。研修中のスジンがある日、「電話が繋がる前に"プップッ"って鳴りますね」と言う。我々の電話でも同じだろう。「プップッ、プルルルルル」で繋がる。しかしジナは「何を言ってるんだ?」という怪訝な顔をする。
また、ジナの担当する客によく「タイムマシンを作った。2002年に戻ってもカードが使えるか?」と問い合わせてくる人がいる。顧客データには「精神疾患」という備考があり、ジナは毎回マニュアル通りに機械的に処理する。ところがある日、その人からの電話がスジンに繋がった。スジンは習った通り機械的に応対していたが、途中で「2002年に戻ってどうしたいんですか?」と業務に無関係なことを客に問う。すると客は「やっと信じてくれる人がいた」と喜んで、「日韓WCをもう一度見たいんだ!」とひとしきり熱く語る。ジナはそれを止めはせず、ずっと眺めているだけだった。
いつもマニュアル通り機械的に応対するジナは、そこで初めて人と人の繋がりのある会話を聞く。電話ごしの相手は人であり、「プップッ」という音は「これから人と繋がりますよ」という合図なのだとジナは認識するのだ。
だからスジンが去った後、「プップッ音」が繰り返し聞こえてしまう。「私はあんなに人を避けていたのに、実はずっと人と繋がっていたのだ」と気づいたジナは動揺する。気にもしなかった音が気になり出した=気にしていなかった相手が「人」であるということを意識させられているのである。
⑤ なぜ後輩スジンにさよならの電話をしたのか?
結局スジンはバックレて会社を辞めてしまう。ジナは上司からスジンへ電話するよう指示されるが、しばらく放置する。しかし隣人の孤独死を知り、面識のない人が隣人を弔う様子を目の当たりにし、実家の監視カメラでは父親が友人らと親しげに話しているのを見る。ジナは人と人との繋がりを立て続けに目にするのだった。そしてジナはスジンにさよならの電話をする。
ここは映画全体を通して見ると、とても大きな変化である。序盤のジナなら絶対にしない行動だ。スジンはずっとジナに近づこうとしていたが、ジナは距離を取っていた。それまでの彼女なら、何も言わず関係を終わらせる方が楽だった。ところが終盤では違う。
重要なのは、業務上の義務でも友情でもないということだ。「関係を持った以上、ちゃんと終わらせようとした」ことに意味がある。それまでのジナは人との関係そのものを避けていた。しかしラスト近くの彼女は、関係を避けるのではなく、自分なりに向き合おうとしている。あの電話は、スジンのためというより、ジナ自身の変化を示しているのだ。
⑥ なぜテレビを消して寝るようになったのか?
個人的には、この映画で最も重要なシーンの一つだと思う。ジナはずっとテレビをつけたまま寝ていた。しかし終盤ではテレビを消して眠る。
ここで勘違いしやすいのは、「孤独を克服した」わけではないことだ。そもそもジナは孤独を苦にしていない。ラストも相変わらず一人暮らしで、急に社交的になったわけでもなく、恋人ができたわけでもない。しかし変わった部分がある。自分が人と結びついているということを知ったことだ。
序盤のテレビは、人の気配だった。無音を埋める存在だった。ところが終盤になると、父親と向き合い、他者との関係を少し受け入れ、隣人の死を受け止めた。結果として、テレビの外側にある人の存在に頼らなくても眠れるようになったわけである。
だからあれは、孤独の卒業ではなく、孤独との和解なのである。自分の中の孤独を更新したとも言える。
この6つをまとめると、『おひとりさま族』は「一人の女性の成長物語」ではない。他人との距離を極端に遠く取っていた人が、少しだけメンタルな距離を縮める物語である。
だからラストでジナは別人にならない。相変わらず一人で暮らしている。相変わらず静かな人間である。しかし、隣人の死を受け止め、父親と向き合い、スジンに電話し、テレビを消して眠る——という小さな変化が積み重なっている。
そしてこの映画の凄さは、その変化があまりにも小さいことだと思う。普通の映画なら大したことのない行動なのに、『おひとりさま族』ではそれがとても大きな一歩に見えるのである。
『おひとりさま族』が合う人・合わない人
Amazonレビューの評価分布が物語っている通り、この映画は完全に好みが割れる。合う人には深く刺さり、合わない人には本当に何も刺さらない。
こんな人に合う
- 細かい心の機微を感じ取れる人、あるいは感じ取りたい人
- 人間関係に繊細で、距離感というものをよく考える人
- 大勢より少人数、賑やかさより静けさを好む人
- 観ながらあれこれ考えるのが好きな人
- 答えのない映画を、答えのないまま楽しめる人
こんな人には合わない
- 起承転結がはっきりしていないと物足りない人
- 派手な演出や分かりやすいカタルシスを求める人
- 受け身で、流れに乗って観たい人
- 他人の感情を読むより、ストーリーを追いたい人
- 性格的に、静かな映画が苦手な人
要するに、本作は「観る側にもそれなりの集中力と感受性を要求してくる映画」である。だから万人受けはしない。そしてそれで正解なのだと思う。
韓国映画『おひとりさま族』感想まとめ|私は★5を付けた
刺さる人には、深く刺さる。
私はこの映画に★5を付けた。今まで観てきた韓国映画の中でも、間違いなく上位に入る一本だ。
派手さはない。事件も起きない。観終わっても「面白かった」と即答できない。なのに、しばらく頭から離れない。
それはおそらく、自分でも言語化できていなかった感覚を、この映画が先に映像にしてしまったからだと思う。
「孤独が好き」。でも「人に存在はしていてほしい」。
そのどちらでもない、曖昧な場所に生きている人間にとって、ジナはあまりにもリアルだった。
合う人には全力でおすすめする。合わない人には正直、おすすめしない。それくらい、好みがはっきり分かれる映画だ。
ただ、刺さった時の深さは本物である。
映画『おひとりさま族(2021年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)
- 監督:ホン・ソンウン
- 出演:コン・スンヨン, チョン・ダウン
- 公開年:2021年
- 上映時間:90分
- ジャンル:ヒューマンドラマ
