疎遠だった兄妹が突然現れた少年との共同生活を通して、家族の絆を取り戻していくヒューマンドラマである。
父の葬儀で再会した三兄妹の前に、腹違いの11歳の弟ナギが現れる。戸惑いながらも彼を引き取ったことをきっかけに、それぞれが家族との向き合い方を見つめ直していく。
スギョンをイ・ヨウォン、ソンホをチョン・マンシク、ジュミをイ・ソムが演じる。共演はチョン・ジュンウォンほか。
韓国映画『そう、家族』は、2016年製作の韓国のヒューマンドラマ・コメディ映画。
監督はマ・デユン。主演は『子猫をお願い』のイ・ヨウォンで、チョン・マンシク、イ・ソム、チョン・ジュンウォンらが共演する。
疎遠だった父の葬儀をきっかけに、幼い末弟の存在が明らかとなり、それぞれ問題を抱えた兄妹たちの関係が少しずつ変化していく様子を、笑いと温かさを交えて描いた作品である。
家族だからこその衝突や不器用な優しさが丁寧に描かれており、最後には穏やかな余韻を残してくれる一本だ。
※本レビューはネタバレを含みます!
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あらすじと感想|韓国映画『そう、家族』バラバラだった兄妹が再生する物語
韓国映画『そう、家族』。
原題は**「그래, 가족」**であり、ニュアンスとしては「うん、そうだよ」 のそう。日本語タイトルの『そう、家族』は、まさに 「うん、そうだよ」の“そう” に近い。何かを言い聞かせるように、あるいは納得するように 「……そう、家族なんだよな」 とつぶやく感じの柔らかい響きである。
借金、病気、暴力沙汰などでバラバラになった長男ソンホ、長女スギョン、次女ジュミ。父親の死により4人目の末っ子ナギの存在が発覚し、彼を中心に家族としてまとまっていくという物語。
あらすじを読んで想像した通りの展開で、予想を大きく外さない。キレイに収束してまとまる。実際、この映画はサプライズで驚かせるタイプではない。
序盤で、
- 父親が亡くなる。
- 幼い弟が残される。
- バラバラだった兄妹が困る。
ここまで来た時点で、多くの視聴者は「最終的には弟を中心に家族がまとまる話なんだろうな」と予想できるだろう。しかし「予想どおり」であったとしても、それはマイナス評価にはならない。そこに至る過程や人物の心理を見ることができる。
長女スギョンの葛藤|一番背負っていたのは誰か
オリンピックに出場する実力がありながら(多分柔道)、実家が貧乏のため八百長で機会を逃し、さらには父親に群がる借金取りをボコボコにし、指導者としての道も断たれた長男のソンホ。
勉強ができ、TV局に記者として勤めるエリートの長女スギョン。しかし父親の借金を肩代わりし、兄ソンホの暴力沙汰による示談金も支払う。さらには、詐欺にあいがちな兄の保証人となった夫にも離婚され、もっとも家族から離れたがっている。
兄姉ほど問題は抱えていないが、それを遠巻きに見つつバランス役のジュミ。しかしアルバイトで生計を立てており、生活は苦しい。
映画を観終わったとき、私が一番感情を動かされた人物は長女スギョンだった。三人のなかで、「一番負担を背負っていた人」に見えるのだ。彼女が一番つらかったことはなんだろうか?
作中で印象深いセリフがある。
他人だったらマシよ
他人だったらこんな思いはしない
これは裏を返せば、家族を愛しているから辛い、ということと同義だ。他人なら放っておけばよい。しかし家族だから、放置できない。彼女が一番つらいのは、たぶんプレッシャーだろうと私は思った。
父親や兄に対して反発してたし恨んでたとは思う。それでもなんだかんだ結局背負ってしまって、もちろん、「なんで私ばっかり」って思っていたかもしれないけれど、それはプレッシャーだ。「 私が支えなければ」、そんな感情。放棄するなら放棄もできたわけである。大抵、彼女は親や兄のお金の事の面倒を見てたわけだけだが、 この先もずっと面倒を見られるのか、見てあげられるのか。実際次女にお金を工面してあげたりもする。それがいつまで出来るのか? 内心、イラつきながらも、出来るなら彼女は家族のことをいつまでも世話していたいと思う。 でも、いつか無理な日が来るかもしれない。その日が来るのは怖かったと思う。
そうして、スギョンは勤め先の社長と対立し会社をクビになるかもという瀬戸際まで来る。怖かっただろう。自分ではなく、兄妹が路頭に迷うことが。それが、彼女本人も気付いていない、本心だったと思う。
末っ子ナギの存在が三兄妹にもたらした変化
そんな中で、突然現れた末っ子のナギが緩急材、または接着剤として三人をつなぎ合わせていく。ナギによって三人が劇的に変わっていくわけではない。ただ、正直になっていくのだ。ナギは紛れもなく、父母ともに同じの血の繋がりのある実の弟だった。
三人は気が付くのだ。本当は自分がどうしたいのか。象徴的なセリフだったのが、次女ジュミのセリフだ。「就職しないのか?」というナギの質問に対して、
そりゃしたいわよ
でもやりたいことがわからない
しかしナギの存在によって、兄姉妹たちは自分のやるべきことに気づいていく。
ラストは予想通りの大団円だが、劇的に状況が好転するということもない。ソンホはアルバイトだし、スギョンは解雇こそ免れたものの、望んでいた特派員にはなれないまま、唯一妹のジュミは手話通訳士として就職できたくらいか。突然の手話通訳士で読者に至っては戸惑うかもしれないが、三兄弟の母親は耳が聞こえなかった。だから、三人とも手話が話せる。その特技を生かし、ジュミは手話通訳士になったのだ。
果たして、ラストで兄姉妹の距離は近づくが、肝心の末っ子であるナギの養育は誰が見るのかまでは語られない。経済的に余裕があるのは長女だが、エンディングのシーンでは協力しあっていきそうな気もする。ともかくハッピーエンド。王道と言えば王道。予定調和ではあるがしかし、軽すぎず重すぎず、コメディをうまく用いた韓国お得意の展開の、ヒューマンドラマ映画であった。
母親のビデオメッセージ|なぜ長男でなく長女スギョンだけに託されたのか
ナギは長女スギョンに母親からのビデオメッセージを渡した。なぜ母親は、長男や次女には何も残さず、長女だけにビデオメッセージを残したのか。
母親は、
**「長女だから」**だと思ったのか。
**「スギョンだから」**だと思ったのか。
つまり、母親が選んだ理由は、「長女という立場だからなのか。」「スギョンという人間の性格だからなのか。」ということである。
自分が亡くなるとわかっている時、複数人子どもがいて、誰に託すかなら普通は一番上に渡す。この映画ではソンホがそうだ。
スギョンは長女だが2番目の子、日本でもそうだろう。とくに韓国は日本より年長者を敬う習慣が強く、男社会の傾向も強い。この場合は長男に重きを置くはずだ。
しかし母親は長男ソンホではなくスギョンにメッセージを送った。
メッセージで母親が言ってた。スギョンに苦労をさせたことはわかっているし、一番負担をかけた。
あなたには苦労をかけてきた
父親は問題ばかり起こすし
兄は詐欺に遭ってばかり
スギョン1人に背負わせてごめんね
あなたは冷たい素振りはするけど
父親の借金返済や実家の生活費まで
何もかも賄ってくれた
天使のような子を残すから
ソンホとスギョンとジュミがみんな落ち着いたら
ナギはあなたたちが
面倒を見てあげてね
正直、ソンホは長男として情けないところではある。母親はハッキリ(長男は当てにならないと)言わなかったけど、兄を差し置いてスギョンにメッセージを送ったわけだから、彼女に苦労をかけた後ろめたさはあったとしても、スギョンに全幅の信頼があったのだろう。
これは、「なぜスギョンを信頼したのか」ではなく、「なぜ長男ではなくスギョンだったのか」という比較だ。
母親は長男を否定する言葉は一切言っていない。しかし、行動ではスギョンを選んだ。
つまり、「長男は頼りない」と言ったわけではない。それでも託した相手はスギョンだった。ここに母親の本音が表れているのだ。
母親はスギョンに「あなたは冷たい素振りはするけど何もかも賄ってくれた」ということを伝えた。
この言葉は励ましでも母親自身の願望(そうあってほしいという期待)でもなく、実績のあるスギョンだから頼んだのだ。事実、昔からずっとそうやって家族を支えてきたのがスギョン(特にお金の面で)だったからだ。
願望でだけなら、母としてはやっぱり兄にやってほしいだろう。何しろ長兄だ。しかし正直頼りない。
励ましなら、頑張っている人間にかけるものだし、そしてスギョンが頑張っていることは知っているはずで、ここで励ますのは余計に負担をかけるし、かなり上から目線になる。重荷になることはわかっているのに、やることやって(避妊することもできたのに)ナギを産んだわけてあるので、励ましとなるとさすがにおこがましい。
スギョンはこれまで、本当はやりたくないのにやらざるを得ないことをやってきた。母親もそれはわかっていて、そしてそれは励ましとは言わない
「頑張ってね」でも「信じてるよ」でもなく、「あなたはこれまで、ずっとやってきてくれたね。」という事実確認なのである。
だから母親はスギョンを選んだのではなく、「もうスギョンしかいなかった」という見方になる。まぁ、スギョンにとっては「まだ私なのか」という想いもあるかもしれない。
しかし母親にとっては、信頼したのではなく、現実を見た結果、スギョン以外に託せる相手がいなかった。
つまり、このビデオメッセージは母親の期待ではなく、母親が最後に認めざるを得なかった家族の現実を映している、と読める。「長女を信頼していたから」というありきたりなものではないのだ。
ちなみに、このビデオメッセージが「手話」で残されている点も見逃せない。実は三姉妹の母親は耳が聞こえない人物で、映像でのメッセージだったのも手話によるものだった。声で伝えられない代わりに、映像という形でしか気持ちを残せなかったわけで、それだけにこのメッセージが「最後の手段」として選ばれた重みも増す。誰かに読んでもらう手紙ではなく、自分の言葉と表情をそのまま映像に刻んで託した。それを受け取れる相手は、限られていたのだろう。
軸は、母親は長女の責任感を誰より知っていた。長女だけが最後まで家族を見捨てないと分かっていた。
だから「お願い」ではなく、「託した」のだ。
なぜ母親の葬儀でナギの存在に気づかなかったのか【考察】
韓国映画『そう、家族』で、唯一設定で気になった点がある。母親の葬儀の時点で、弟の存在を知る機会があったのではないか、という疑問だ。この部分は劇中で説明がなく、少し引っかかった。
末っ子の弟であるナギは11歳。
彼は三兄姉妹が家を出た後に、彼らの父母から産まれた、正真正銘実の弟だ。義理でも種違いでも腹違いでもない。
その後、母親が亡くなった。
つまりナギが産まれてから母親の葬儀があったなら、兄姉妹が参列して弟の存在を知る機会があったのではないか。映画では、この点についての説明はない。
映画では説明されていないが、考えられる可能性を検証してみよう。
劇中で明示されていない以上、理由は主に下記のいくつかだ。
- 母親の葬儀自体を行わなかった。
- 経済的事情などで家族葬や火葬のみで済ませた可能性。
- 葬儀は行われたが、三兄妹は参列しなかった。
- 三兄妹は参列したが、父親が弟を会わせなかった。
- 親族や知人に預けるなどして、存在を伏せ続けた可能性。
どれも劇中の情報と矛盾はしないため、「これが正解」と断定できるものはない。
ただ、補強材料として一つ挙げるなら、父親は田舎で半ば隠遁生活のような状況でナギと2人暮らしをしていたという設定がある。もともと三兄姉妹とも疎遠で、父親自身が家族との関わりを断つように生きていたとすれば、母の葬儀の場ですら顔を合わせなかった、あるいは兄姉妹側が意図的に距離を置いていた、という可能性も補強される。とはいえ、これもあくまで状況証拠であって、劇中で明言されているわけではない。
そのため、この部分は設定上の空白と言える。物語としては「父親の葬儀で初めて弟の存在を知る」という展開を優先しており、「母親の葬儀ではなぜ知らなかったのか」という点までは説明されていない。
この空白部分は視聴者に委ねられたのだろうか。それとも、脚本がそこまで用意することを失念していたのか。
結局、いくら考えても納得のいく答えは出てこなかった。謎は深まるばかりである。
父親はなぜ「今」ナギを三兄妹に会わせようとしたのか
劇中では、父親は長年ナギの存在を隠していた。しかし、亡くなる直前にはナギに「ソウルへ行こう」と話していたことが示唆される。というか、実際にソウルに向かうバスで事故に遭い亡くなって、ナギの存在が三兄姉妹に発覚した。
父親は、「ナギを隠したかった」のか、それとも「三兄妹に会わせる機会がなかった」のか。
まぁ思うに、怖かったというのはあるかもしれない。それでもソウルに会いに行けるということは、少なくとも三兄姉妹の所在は知っている。少なくとも誰か一人の住所くらいは。 だからナギを隠していたのは意図的ではあるし、そして後ろめたさもあったのかもしれない。出産したことで体の弱い母親の死期が早まった、後先考えずに子作りした、など 。まぁ、隠しつついつかは話そうと思ってはいたが、結局ずるずる行っちゃたんじゃないだろうか。
そうして、なぜ「今」だったのか。
11年間ずっと言えなかったのに、なぜ父親は「ソウルへ行こう」という気になったのだろうか。
ここで重要なのは、「なぜ今なのか」である。
- 父親が年を取って焦ったから。
- 自分の死期を感じていたから。
- ナギが11歳になり、自分の意思を持つようになったから。
- 三兄妹との関係を修復したくなったから。
あるいは別の理由かもしれないが、ここもはっきりとはわからない。
考えに考えたが、皆目見当がつかなかった。 たしか韓国の学校制度は日本と同じ6334だから、つまり中学生じゃないし、(中学生になったからとかなら説明しやすい)11歳というのは中途半端。 嫁、つまり母親が死んで10年の節目だったとか(想像) 。
ナギと会わせなかったのは後ろめたかったからで説明できるが、会わせようと思ったタイミングはいくら考えてもわからん。 まぁナギが「会いに行こう」って言ったからってのはあるのだろうが、それはあくまでキッカケに過ぎないだろうし、その一言で会いに行くのを決心できるんだったのなら、もっと早く会わせるはずだし会わせたいと思うはずである。
まさに死人に口なし。父親が死んだ後では本心はわからない。だからこそ、エンディングでは余韻が深くなったという側面もあるのかもしれない。
『そう、家族』をおすすめしたい人の特徴
正直、この映画は万人受けするタイプの作品ではない。派手などんでん返しもないし、号泣必至の悲劇でもない。だからこそ、合う人にはとことん合う映画だと思う。私が思う「おすすめしたい人」は、以下のような人だ。
- 展開が読めても、それはそれとして楽しめる人(サプライズより過程を味わいたい人)
- 胸糞展開が苦手で、後味の悪い映画を避けたい人
- 家族という関係の「面倒くささ」と「離れられなさ」の両方に共感できる人
- コメディとシリアスのバランスが取れた韓国映画が好きな人
- 疎遠になった家族や兄弟姉妹との関係を、少し重ねながら観たい人
まとめ|静かに沁みる、ありふれた家族の再生譚
ここまで語ってきた通り、『そう、家族』はとにかく「王道」を突き進む映画である。予定調和と言われればその通りだし、驚きの展開を期待して観ると肩透かしを食らうかもしれない。
でも、それでいいのだ。むしろ、それがいいのだ。
この映画が描いているのは、劇的な奇跡ではなく、ただ「距離が少しだけ縮まる」という、地味だけど確かな変化だ。ソンホもスギョンも、状況が劇的に好転したわけではない。それでも、家族としての形を取り戻していく。派手さのない着地点だからこそ、逆にリアリティがあるし、観たあとの後味がやたらと良い。
正直、ナギというキャラクターがいなければ、この三兄妹は一生このままバラバラだっただろう。誰か一人の存在が、こじれた関係をほどくきっかけになる、というのは、映画の中だけの話じゃなく、現実でもよくあることなんじゃないかと私は思う。
胸糞展開なし、安心して観られるヒューマンドラマを探している人には、まぁ間違いなくハマる一本だ。気負わず、肩の力を抜いて観てほしい映画である。
映画『そう、家族(2016年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)
- 監督: マ・デユン
- 出演:イ・ヨウォン, チョン・マンシク, イ・ソム, チョン・ジュンウォン
- 公開年:2016年
- 上映時間:106分
- ジャンル:コメディ, ヒューマンドラマ
